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教員News(No.17)

作業療法学専攻
政宗公と仙台七夕(大黒 一司)

 末っ子が中学生になった頃から仙台七夕に行く機会が少なくなりました.それでも仙台に住んで20年、仙台七夕はすっかりと私の生活に馴染んでいます.7月も後半になり夏の熱さを感じる季節になると楽しみになります。

今回は仙台七夕のミニ知識を「杜の都仙台」にある「東北文化学園大学作業療法学専攻 ダイコク」が伝えたいと思います.

伊達政宗の眼に映る仙台のまちは??


 仙台の歴史について,あえて少しだけ書きたいと思います.今日ある仙台のまちの歴史は,今から四百年前の慶長6年(1601年),独眼で知られる名君伊達政宗が開府(62万石)したことに始まります.伊達政宗は秀吉や家康が天下を統一した時代に生き,きっと「天下統一はこの政宗が!!」という野望を持っていたことでしょう.政宗ファンとしては政宗公の胸の内をそのように思い込みたいです.しかし,家康が徳川幕府を確立した後は,「天下」の夢より,家康の相談相手として徳川政権を支えたことは多くの歴史書でわかります.

 写真は,仙台市青葉山の仙台城(青葉城)跡に建立された伊達政宗像です.四百年の時を超え,時代とともに変わる仙台のまちを,政宗公はどのような気持ちで城跡から眺めているのでしょうか? 政宗公の独眼に,いまの仙台はどのように映っているのでしょうか?(写真が不鮮明ですみません)



仙台七夕の歴史

仙台七夕の歴史は,政宗公の時代にさかのぼります.婦女子の文化向上のために七夕祭りを奨励したとも言われています.また,天明3年の大飢饉の際には,その世直し策として盛大に行われたとも伝えられています.当時,紙は非常に貴重であり,容易に手にすることのできない時代にあって,庶民が短冊一枚にこめた願いは絶大なものであったに違いありません.

 明治維新以後,とりわけ新暦採用後は全国的に七夕まつりの開催は衰微し,第1次世界大戦やその後の不景気により,祭りの様子は寂しくなるいっぽうだったようです.昭和2年,不景気を飛ばそうと仙台商人の心意気とばかりに,華やかな七夕祭りが復活しました.しかし,再び戦争が勃発し仙台のまちから七夕飾りは消えてしまいました.



現在の仙台七夕とその特徴

 終戦の翌年,昭和21年,空襲による焼け跡に52本の七夕飾りが復活しました.昭和22年には昭和天皇が仙台を巡行され,それを契機に商店街の七夕にかける熱意が盛り上ったようです.

その後は,商店街振興や観光として変貌してきました.今や東北3大祭り(青森ねぶたまつり,秋田竿灯まつり),6大祭り(青森ねぶたまつり,秋田竿灯まつり,盛岡さんさ踊り,山形花笠まつり,福島わらじまつり)のひとつとして,全国から多くの観光客が仙台を訪れ,きらびやかな竹飾りに満悦しています.


仙台七夕の特徴は,本物の和紙と本物の竹を用いて飾り付けを行うことです.竹の長さは10m以上,1本の価格は数十万円~数百万円といわれています.そんな豪華な七夕飾りを,一度観にいらしてください.七夕飾りが立てられる一番町通りの路肩には竹を立て掛けるための穴があります.普段は七夕飾りの模様が刻まれている蓋をしています(右の写真).一番町通を歩くときにはちょっと注意して見てください.

みちのくの短い夏は祭りの中に凝縮されているような気がします.写真は「七夕飾り」です.ちょっとお祭り気分を楽しんで頂けたらと思います.

政宗公も青葉山から微笑んで眺めていると願いたいです(短冊に書こうかな)。



参考資料

公益財団法人仙台コンベンション協会:http://www.sendaitanabata.com/ 2014年7月21日閲覧