冬の車窓からの密かな楽しみ
総合政策学部 講師 石田 裕貴
冬のよく晴れた午前中、仙台駅から東北新幹線に乗車して東京に向かうとき、小さな個人的な楽しみがある。宇都宮駅から大宮駅に向かうあたりの右側の車窓から雪をまとった富士山が見え始めるのだ。東京駅に近づくころはビルとビルの合間からちらちら見える。周りの乗客は誰も気にしていないようだ。私は一人その姿を見守る。
左右対称に均整が取れ、裾野の長いきれいな円錐型である。周りにさえぎるものが何もない独立の峰はひたすら雄大である。真っ白な雪に覆われた山容は澄み切った青空にひときわ映え、そのコントラストが美しい。陽に照らされて光り輝く姿は神々しくもあり、決して見飽きることがない。
名古屋で大学生活を送っていたときに所属したワンダーフォーゲル部では、毎年の夏休みの山行合宿で日本アルプスを縦走した(ワンダーフォーゲルとはドイツ語で「渡り鳥」を意味し、19世紀末にドイツで始まった渡り鳥のように山野を歩き回りながら、心身を鍛錬することを目的とした青年運動のことである)。夏合宿では、2週間分の食料、テント、寝袋などを詰め込み、30kg余りの重さと自分の頭をはるかに超える高さに膨れ上がった登山用ザックを背負い、7人ほどのメンバーとひたすら歩き続けた。わが部では、北アルプスと南アルプスで交互に夏合宿の山行ルートを計画するルールがあり、私の代は大学1年と3年の二度、南アルプスであった。
南アルプスは富士山との距離が近いので、夏合宿の行程は常に富士山とともにあった。雲や他の山陰に隠れることもあったが、富士山の姿を見つけるたびにみんなで歓声を上げた。疲労が蓄積し、単調な山の生活から恵まれた下界の生活が懐かしくなる合宿の後半では、いつ見ても変わらないどっしりとした雄姿に励まされた。だんだん遠くに小さく見える富士山は、歩いてきた距離を実感させ合宿を無事に終えられるという喜びと達成感を表すわけだが、同時に一抹の寂しさを覚えさせるものでもあった。
富士山は日本一の高さを誇る偉大な山であると同時に、私にとっては大学時代の思い出を喚起させるものである。大学卒業以降、山からまったく遠ざかっている今では単なるノスタルジーにすぎない。こんな私的な話とは関係なく、冬のよく晴れた午前中、東京行きの新幹線に乗る機会があるなら、是非右側の車窓からただただ美しい富士山を眺めて欲しいと思う。