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平成27年度東北文化学園大学?大学院 学位記授与式を挙行しました

イベント
東北文化学園大学?東北文化学園大学大学院 学位記授与式 
平成28年3月17日(木) 
平成27年度東北文化学園大学?大学院 学位記授与式が挙行されました。

学長式辞

 今年は暖冬でした。庭の福寿草は、学位記授与式まで待てずに、三月初めに開花してしまいました。例年になく早い開花です。

 東日本大震災が起きてから、ちょうど五年が経過いたしました。JR女川駅は再開され、石巻線も全線開通しました。津波の被害にあった町々は、徐々に復興が進んでいます。防潮堤と嵩上げされた土地から、これからの沿岸部の町の形が見えるようになってきました。多くの悲しみを乗り越え、被災地の方々は、五回目の春を迎えようとしています。東日本大震災の一年後に入学した皆さんは、早くも四年が経過し、今日学位記授与式を迎えます。皆さんの引き締まった顔を拝見しておりますと、震災からの復興の担い手として、今後中心になって働いて行く皆さんの並並ならぬ決意が伝わって参ります。今年もまた、希望に満ちた春が訪れます。

 本日ここに、ご来賓ならびに東北文化学園大学関係者各位のご列席のもと、平成二十七年度学位記授与式が挙行できる喜びをかみしめています。この度学位を授与された者は、医療福祉学部三百一名、総合政策学部六十六名、科学技術学部六十四名、合わせて四百三十一名です。また、健康社会システム研究科を修了して修士の学位を授与された者は十五名、博士の学位を授与された者は一名、健康社会システム研究科に博士論文を提出し、所定の審査に合格し博士の学位を授与された者は一名です。

 卒業する皆さんは、本学にとって十四回目の卒業生となります。在学中の様々な壁を乗り越え、日々努力し、成長した証として、本日ここに晴れて学位を授与されることになりました。皆さんのこれまでの努力に対し心から敬意を表し、ご卒業をお祝い申し上げます。また、皆さんをこれまで支えてくださった保護者の方々、皆さんと辛苦を共にし、教育に勤しんでくださった教職員の方々に、心から感謝し、お喜び申し上げたいと思います。

 さて、学位記授与式にあたって、皆さん良くご存知の「千の風になって」の詩を引用するところから、贈る言葉を始めたいと思います。


私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません/

千の風に 千の風になって/あの大きな空を 吹きわたっています (以下略)


この詩は、新井満がかなり原文に忠実に訳したもので、作詞者はアメリカ在住のドイツ系ユダヤ人のMary Fryeとされています。死んだあとの私は、千の風、秋には光、冬にはきらめく雪、朝は鳥、夜は星になって、あなたのそばにいるという、死者から残された生者へのメッセージの形をとっています。このメッセージは、死者の霊が風に、雪に、鳥に、星に宿るということですから、欧米の宗教思想に起源を求めることはできない感性があるように私には思えました。それよりも、むしろこの詩は、日本古来の霊や魂を大事にする感性に近いような気がしませんか。ところでみなさん、同じような内容の歌があります。岩井俊二作詞の復興支援ソング「花は咲く」です。少しこの詩を引用してみます。

 私は懐かしい あの街を思い出す/叶えたい夢もあった/変わりたい自分もいた/

いまはただなつかしい/あの人を思い出す/誰かの歌が聞こえる/誰かを励ましてる/

誰かの笑顔が見える/悲しみの向こう側に/(以下略)

 死んでしまった私が、死という悲しみの向こう側の世界にいる懐かしい、愛する人たちを思い、まだ生まれぬ君に咲くであろう花に思いを致す、すなわち死者からの愛のメッセージの形をとった詩です。この感じ方には、「千の風になって」と共通の死者の霊に対する感性があるように思えました。それだからこそ、この二つの歌は、多くの日本人の支持を得ることが出来たのではないでしょうか。

 そのようなことを考えていた時に、エドワード?O?ウィルソンという高名な昆虫社会学者が書いた「人類はどこから来て、どこへ行くのか」という本に出合ったのです。この本の英文のタイトルは、”The Social Conquest of Earth”、直訳すると「地球の社会的征服者」です。この本の表紙と、本文の一番最後のページに、ポール?ゴーギャンの、「われわれはどこから来たのか」「われわれは何者なのか」「我々はどこへ行くのか」という、きわめて哲学的?宗教的な問いかけをタイトルに持つ、不思議な絵が掲載されています。 しかし、内容はあくまでアリやハチの昆虫社会学の成果を基にした、人間を人間たらしめている条件の生物学的起源に関する考察です。少しウィルソンの考えに耳を傾けたいと思います。

 最初期の人類の祖先は四百万年前から二百万年前のアウストラロピテクスです。二十万年前にホモ?ネアンデルターレンシス、十六万年前には私達人類の直系の先祖であるホモ?サピエンスが出現しました。その間約百万年前までに、人類の祖先は陸上での生活、体の大型化、物をつかむ手の登場、手の歩行からの解放、そして狩りを覚え、肉が多く含まれるように食事を変え、火をコントロールしながら使用することができるようになっていました。しかし、それらは人間に至る準備段階にすぎません。現生ホモ?サピエンスへの道の最後の段階は、彼らが出現した太古の十六万年前から始まり、ゆっくりした速度で進んだ現生ホモ?サピエンスに特有な脳の形成で、この漸進的なプロセスの極致が、今日まで続く、ホモ?サピエンスの爆発的な創造力の源となっていると考えています。ホモ?サピエンスと同時期に存在したネアンデルタール人は、ホモ?サピエンスより重い脳を持っていながら、存続していた二十万年の間、道具の制作では工夫がなく、芸術もなければ、身体の装飾具も付けていませんでした。

 それではそのような進化を可能にしたホモ?サピエンス、すなわち人間に内在的に備わっていた独自の力とは何だったのでしょう。ウィルソンは、蛇や高所など、環境中の危険に対する恐怖や嫌悪を身に付けさせ、決まった表情や身振りを用いて意思疎通を図らせ、幼い子と緊密な絆を形成させ、夫婦の絆を結ばせ、近親相姦を忌避する行動や思考などといったものを人間の本性としています。これらは決して後天的に学べるようなものではありません。遠い先史時代から長期にわたって起きた遺伝的進化と文化的進化の相互作用の蓄積を可能とする、生物学的には数百万年前に遡り引き継がれてきた情報伝達の仕組みが、私達には存在すると考えています。いくら人間とチンパンジーやネアンデルタール人の全ゲノムを比較しても、人間を人間たらしめている決定的な遺伝子は、現在のところ発見されていません。そこで、わたくしたちに生物学的に備わっている、DNAの塩基配列によらず、遺伝子発現を制御?伝達するシステムがクローズアップされて来るのです。このシステムは、細胞分裂により、子孫に受け継がれていくという遺伝的な特徴を持ちながら、DNAの塩基配列による遺伝とは独立したシステムで、エピジェネティックスと呼ばれています。ウィルソンは、これこそが、太古の昔から人間の本性を今の私達に伝えているシステムであると考えています。彼は、ホモ?サピエンスに見られる非常に高度な社会性とそのエピジェネティックな遺伝が、人間としての心の形成を解く鍵ではないかと主張しているのです。この学説の証明は、今後の学問の進展を待つとして、「千の風になって」や「花が咲く」に感じる不思議な懐かしさ、もの悲しさは、私達ホモ?サピエンスが根源的に持つ本性の一つ、霊的なものへの懐かしさに共鳴したところから生まれてくる郷愁なのだと考えると、どこか楽しくなってきませんか。

 今日卒業式を迎えた皆さんには、最後にポール?ゴーギャンの私達に対する根源的な問いかけを、そのままお返ししたいと思います。「われわれはどこから来たのか」「われわれは何者なのか」「我々はどこへ行くのか」。

 それでは、今日この良き日を心から祝福するとともに、皆さん一人一人の人生が幸多いものとならんことを祈りつつ、式辞とさせていただきます。

 本日は、誠におめでとうございます。

平成二十八年三月十七日
東北文化学園大学
学長  土屋  滋